坂総合病院 初期研修・後期研修 宮城県仙台市

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不況〜失業〜アルコール〜そして…

地域医療福祉課 金野 由紀枝

小泉内閣の経済政策は、とんでもない社会不安と不況を生み出しています。4人に1人が“失業”の不安を感じ、会社での賃金カットや人員削減は公然化しています。仕事があるだけましという風潮が労働者の心を占めています。日本はまさしく異常状態です。
医療ソーシャルワーカー(以下MSW)が関わったケースの中には、これらの嵐をまともに受けた人たちが大勢います。その中の1人、Aさんを紹介したいと思います。

Aさんは46歳。以前結婚して子どももいましたが、アルコールのせいで妻や子は愛想を尽かし出て行きました。病気の治療をしながら心機一転働きましたが、仕事がとぎれ家にいる時間が長くなると、寂しさをまぎらわすために、また酒を飲みました。
  そのくり返しが2年ほど続きました。身を寄せていた実家には老いた両親と兄夫婦が暮らしていました。兄嫁に気をつかう父の姿を見ていられずにAさんは家を出ました。しかし住む家を借りるだけの収入はありません。仕方がなくオンボロの愛車(ワゴン車)に寝泊りすることにしました。実家の畑の前に車を止めて、全ての生活の本拠地としたのです。途切れ途切れの仕事のせいで、生活は乱れ、アルコール漬けの日々が続きました。肝臓は腫れ、顔を黄色くなってきましたが、病院に行く余裕もありません。じっと我慢する日が続きました。「若い頃の馬鹿がこんな形でしっぺ返しをしている。耐えるしかない…」見かねた父が言いました。「病院に行こう。」

<MSWとの出会い>
町議会議員の紹介で私はAさんと出会いました。どす黒い顔、腫れが貯まり、目は黄色い。おどおどして不安そうな目…。「これ以上は実家に迷惑をかけられないと思って我慢していた。金もないし仕事もない。このまま死ねるなら死んでもいいと思っている。病院に来ればきっと入院といわれると思ったけど親父に連れてこられた。」
  ベッドの関係で即日入院とはならなかったため、入院が決まった時点で生活保護の申請をすることになりました。車上生活でしたが、実家の畑なので、住所を実家の住所で届けることにし、福祉事務所との話し合いを持ちました。
入院日と同時に生活保護開始にはなりませんでしたが、住所地などの問題もクリアし保護決定となりました。退院先、落ち着き先を見つけるまではトラブルはまだまだ続きますが、ようやくAさんの顔にも笑みが見られるようになってきました。


▲患者さんの相談にのる金野MSW

町議会議員の紹介で私はAさんと出会いました。どす黒い顔、腫れが貯まり、目は黄色い。おどおどして不安そうな目…。「これ以上は実家に迷惑をかけられないと思って我慢していた。金もないし仕事もない。このまま死ねるなら死んでもいいと思っている。病院に来ればきっと入院といわれると思ったけど親父に連れてこられた。」
  ベッドの関係で即日入院とはならなかったため、入院が決まった時点で生活保護の申請をすることになりました。車上生活でしたが、実家の畑なので、住所を実家の住所で届けることにし、福祉事務所との話し合いを持ちました。

入院日と同時に生活保護開始にはなりませんでしたが、住所地などの問題もクリアし保護決定となりました。退院先、落ち着き先を見つけるまではトラブルはまだまだ続きますが、ようやくAさんの顔にも笑みが見られるようになってきました。

<住所不定者の生活保護の開始について>
車上生活者やホームレスはいわゆる行路病人の扱いで、住所地の管轄の福祉事務所の窓口扱いにはなりません。すべて県福祉の扱いで、県費が支給されます。入院すれば入院費のみ、外来であれば外来医療費のみの支給が一般的で、次の土地までの電車賃(一区間分として200円くらいが支給され乗り継いで目的地に向かうのです)が出る程度です。生活を建て直したり、住宅を構えたりするには、わたしたちのようなMSWなどの手助けがなければほとんど不可能なのが現実です。これは日本福祉制度のおそまつさを露呈しているといえるでしょう。

(2003年1月)

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